クンウー・パイクによるショパンのノクターンばかりの演奏会@王子ホールに行ってきた。
ショパンのノクターンといえば感傷的・感覚的で深みに書ける音楽だというイメージが一般的に持たれているかもしれない。しかしクンウー・パイクのショパンのノクターンには深く沈潜するような独特の世界があって、それが聴き手の心の奥底に響いた。一曲せいぜい数分の小品が、とてつもなく大きな広がりを有することになった。
加えて一つ一つの音を慈しむようなタッチと微妙な転調を支える絶妙なペダリングにより、ピアノがこの上ない繊細な「歌」を奏でる。装飾的な音符も単なる飾りでなく音楽の本質を形どる存在となる。大ベテランが長い年月をかけて到達した境地と技が惜しみなく発揮された。
いくつか特に心に残った楽曲を振り返ってみたい。冒頭の作品9-1は若きショパンのストレートな感情のほとばしりが表出される曲だが、パイクの円熟した表現により心にずしりと響くような深い悲しみが全編を覆った。この一曲で演奏会場の我々は居住まいを正された。
作品27-1嬰ハ短調では不安と憂いに満ちた主旋律が耳をそばだてるような繊細さで聴こえてくる。中間部では一転して手に汗を握るような迫力溢れるドラマが展開する。悲劇的な楽想に一縷の光がさすが、それもつかぬ間に終わり、結局は悲しみに支配されてしまう。その展開をパイクはこの上ない情熱を持って表現していた。曲の有する感情の深さとパイクの円熟味が完全にマッチした演奏であり、当日最高の聴きものだったと思う。
作品62-1はショパン晩年の繊細な感情が表出されている曲である。そこには大きなドラマはなく、一見なにげないようなメロディーが続くのだが、転調とポリフォニックな楽想によって心の襞を映し出すかのような精妙な音楽となる。ピアニストの感性を測る試金石とも言える曲である。パイクは一音一音をこの上なく丁寧に表現することでその本質を明らかにしていった。再現部のしみわたるようなトリル、そしてそれが消えゆくと現れる十六分音符の天使のようなフレーズ。聴き手は夢見心地となった。
作品48-1ハ短調。ショパンのノクターンでもっとも劇的でスケール感のある作品であり、演奏会のしめくくりにふさわしい。パイクはCDの録音では繊細に曲を始めて徐々にピークを持っていく解釈をとっていたが、この日は冒頭からしてドの音が重々しく響き、全体として力強さがみなぎる演奏だった。重音の多いこの曲は必ずしもピアニスティックな面では成功しているとは言い難いが、その悲劇的な音楽にはかけがいのないものがある。パイクのあくまでも内面的な演奏はその本質を惜しみなく表現していた。