ラフマニノフのピアノとオーケストラの作品を三人のピアニストと東響で@サントリー・ホール。お目当てはトリに第3番のピアノ協奏曲を演奏したアンリ・バルダ。御年80才のベテランがこのピアニストに恐れられている長大な難曲を滞りなく弾けるだろうか、などと演奏前には心配していたが、完全に取り越し苦労だった。
とにかくこんなに楽しませてくれるピアノ協奏曲の演奏は他にないと思う。協奏曲のソリストはオペラのディーヴァであり、自分の魅力を最大限に出すのが仕事であるとかねがね思っていたが、そのことを再確認させてくれた。ピアニストの中にはオケに合わせる事に一生懸命だったり、中にはオケの奏者の一員みたいに指揮者に従順な人がいるが、そんな姿勢では演奏家の魅力が伝わらない。もちろんソリストとオーケストラとが一緒に演奏を作り上げていくわけだが、両者が融和して一体化してしまっては、何のための協奏曲だかわからなくなってしまう。特にラフマニノフのオーケストラは響きが厚いのでソロは個性的でないと埋もれてしまうだけだ。第一楽章の冒頭の有名な「レーファミレー・ド♯レミーレ」で始まるピアノのユニゾンの旋律からして定石を外すような表情であったので「これは刺激的な演奏になるぞ」という予感を持った。
バルダ氏の演奏の一つの特徴は早めのテンポで推進力を持つところであると思う。テンポがほんのわずかに早まる感じがあって、それが聴き手の気持ちをぐいぐいとひっぱってくれる。それが聴き手のアドレナリンを刺激してくれるが、他方それがあるからこそ、それと対照的なピアノ(弱音)の繊細な表現の魅力が何倍にもなるのだ。彼のタッチには物理的に均衡が取れた響きよりさらに押し込むような「濃さ」がある。これの魅力に一度はまってしまうとなかなか抜け出せない。音楽家というのは音で表現するわけであり、この独特の響きが彼の演奏の秘密の大きな要素の一つとなっている。
こういうオリジナリティこそが魅力となる。完璧なバランスを有する人は写真みたいな絵を描いているようなものであり、何のインパクトも持てない。セザンヌやゴッホは一目見るだけでわかるような独特な世界を作り出しているが、彼らはああいうスタイルを選択しているのではなく「ああいう風にしか絵を描けない」人たちだ。その個性こそかけがいのないないものであり、我々はそれを芸術を呼ぶ。写真でなくセザンヌのような演奏を聴けて良かった。